暮らし

人はいつか死ぬ

俺の父が死んだらしい、再婚した女性から母へ連絡が来た、朝寝ているように死んでいたらしい老衰か、去年の11月のことであった

俺が生まれたころには離婚して基本母子家庭で生活してきたので特に思い入れはないけど、去年の7月頃に一回ぐらい話してみたらと母に言われた。

前から一回は会ってみたいなとは思ってはいたが恥ずかしがり屋だったので生まれてこのかた話したことも見たこともなかった。

東京で新しい家庭を作り暮らしているぐらいしか知らなかった。

なんとなく慰謝料むしり取ったろぐらいの心でやりとりしてみようと思った。

7月頃、まずラインでやりとりしてみたら思いのほか心配してくれていたようだった、遠くから俺のことを見ていたらしい。意外といい人で母が俺に伝えるイメージ像とまったく違ったので、いいおじさんだなと思った、若い時は色々荒れてたようだが丸くなったんだろう。反省と後悔を根にずっと持っている感じを強く受けた。俺も最初は約30年の鬱憤とかをすべて思っていることをぶつけてみたが、何回も謝って、すべて引き受ける覚悟を感じたので途中で止めた。

それから方向性を転換して、この人とこれから一生仲良くしていこうと思った。償いも含めて。そのときは誕生日が近かったので30年分のプレゼントとして、本当は30万とか金を要求しようと思っていたが、そんな気もうせ、比較的安価な仕事道具に使う新しいPCを欲しいと伝えたら快諾し数日たったら自宅に届いた。そのPCで今文字を打っている。(仕事で使え)安い買い物ではない、向こうの家庭の子供も2,3人まだ大学生ぐらいだという。金銭的にも楽ではないというのも幾分伝わったが、俺から直で話してみたいということは初めてなので無理したんだろう。

それ以降もラインで好きな本の話などをしたりした。やりとりをするたびに初めての感情というか、これが愛情というものなのだろうか。無償の愛なのか、そういうものを感じた。

真剣に自分の発することに向き合っていることや、本当に自分のことを応援してくれている、心配している、見守ってくれているということが伝わってきた。

実際電話が自分は大の苦手なのでラインだけの予定だったが、細かいプレゼントのくだりで少しライン電話で話した、ちょっと嬉しそうだった。それが最後の会話になってしまった。一回も直接会って話せずに天国へ行ってしまったのはなんだかんだ寂しい、もう少しだけ会話のキャッチボールをしたかった。